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50.リーダーシップについて考える(1)

リーダーシップについて書こうと思いつつも、どういった切り口から書いていけばいいのか決心がついていませんでした。
今回、このコラムも50回目を迎えることもあって、挑戦することにしました。

社内/外の研修や講習、セミナーでも人気があるのが「リーダーシップ」です。書店のビジネス書のコーナーに行けば数多の関連書籍がならんでいます。
成功した経営者が説くもの、歴史上の偉人から学ぶもの、経営学やその周辺の学問から説いたもの、政治家・教師・スポーツ選手から芸能人が書いているもの。ビジネスライターが編集/編纂したものまで様々です。

リーダーシップを学ぶ(身につけようとする)場合、
・リーダーシップは、生まれつきのものか、学ぶことができるものなのか
・リーダーシップは、偉大な人だけのものなのか、誰もの問題なのか
・成果をあげるリーダーシップには決まったスタイルは存在するのか
・状況により、有効なリーダーシップは変わるのか
・リーダーシップを身につけるうえで必要な資質はあるのか
という疑問が出てくるのではないでしょうか。

また、リーダーシップに求められる規範とは、
模範となる・共通のビジョンを呼び起こす・プロセスに挑戦する・人々を行動に駆り立てる・心から励ます。
リーダーシップのスタイルは、
お山の対象(オレについてこい)・サーバントリーダーシップ(後ろで構えている)・輪の中心
と思う方もいるのではないでしょうか。

筆者には、これらすべてを網羅して、リーダーシップはこうあるべきなどと言い切る自信はありません。またこういった試みは無謀でしょう。
今回のコラムでは、よくあるリーダーシップ論ではなく、(メンバーと議論して)考えて実践してみる契機になるようなテーマを取り上げていきます。
ですから、内容は、成功者が紹介する「こうやればうまくいく、こうしたから成功した」というものではなく、研究者の書いた論文を取り上げて実践してみることを目指します。
成功すればヨシ、失敗したらうまくいかない方法が解ったと思えるようにしたいものです。(致命的な失敗は避けなければなりませんが)
 

「リーダーシップを考える」の初回はドラッカーからスタートします。

「将軍が戦死しない戦争」*1と題された文章、『未来組織のリーダー』*21998年の序文として書かれたものから紹介します。

ドラッカーは言います。50余年にわたる教師、起業コンサルタントの経験から明らかになったことです。
1.「生まれつきのリーダー」なるものはいない。いたとしても僅か。リーダーシップとは学びとるべきものであり、学びとることができるものである。

2.リーダーとしての「個性」「スタイル」「気質」などは存在しない。
50年間に知り合った優れたリーダーのなかには、非社交的な人もいれば、極めて社交的な人もいた。ナイスガイもいたが規律一辺倒の人もいた。衝動的でヒラメキ型の人もいれば、石橋を叩いても渡らない人さえいた。誰とでも気の合う優しい人もいれば、長年一緒に働いてきた同僚とさえもぎくしゃくする人もいた。
(中略)
砂漠の隠遁者のように禁欲的な人もいれば、つねに騒々しく享楽的な人もいた。一方には聞き上手がおり、他方には、もっぱら内なる声に耳を傾けるという孤高の人がいた。
つまり、優れたリーダーに共通していることは、いずれもカリスマ的ではないということだけだった。みな、カリスマ性とは無縁に等しかった。


画像

しかし、ドラッカーはその観察から一流のリーダーが認識していた4つのことをあげています。
1.リーダーとは、ついてくる者がいて初めてリーダーたり得る。

2.愛されたり、敬われるだけでは、リーダーになれない。つき従うものが正しいことを行ってこそのリーダーである。リーダーシップとは人気ではない。結果を出すことである。

3.リーダーとは目立たざるをえない存在である。したがって規範とならなければならない。

4.リーダーシップとは、地位や特権、肩書や財力ではないということである。それは責任である。


さらに仕事の仕方の共通点として
1.「何をしたいか」からはスタートしなかった。「何をしなければならないか」からスタートしていた。

2.「自分には何ができるか、何を行なうべきか」を考えていた。ニーズとともに、自分の強みや得意とするものとの適合性を考えていた。
3.つねに「組織の使命と目的は何か」「この組織が成果とすべきものは何か」を考えていた。

4.部下の多様性を受け入れ、自分のコピーなどは求めていなかった。「この人物が好きか嫌いか」など、考えたこともない人たちだった。ただし、仕事の成果、水準、質については鬼のように厳格だった。

5.部下の強みを恐れていなかった。そのことを我が事のように喜んでいた。「自分よりも優れたものとともに働いたもの、ここに眠る」とのアンドリュー・カーネギーの墓碑名こそ、かれらのモットーだった。

6. 何らかの方法によって、「鏡に自分を写す」自己点検を行っていた。鏡に映る姿が、自分の理想とする人間、尊敬する人間、信奉する人間に近いかどうかを自問していた。

こうして、ややもすれば、正しいことよりも人気のあることに走り、取るに取らない、下劣で薄っぺらなことに手を染めるという、リーダーに特有の落とし穴に気をつけていた。


最後にドラッカーは、
一流のリーダーは、実に多くの仕事について権限を委譲する。そうしなければ雑事に埋もれてしまう。
しかし彼らは、自分にしかできないこと、重要なこと、他の模範となること、長く影響の残ることについては人任せにしない、自らがおこなう。

と結んでいます。

リーダーシップ原論とでもいえる内容です。どうやって人を使うかというようなテクニックではなく、原理・原則が書かれています。
ぜひ職場内で、マネージャー同士でこの文章をたたき台にして、議論してみてください。そしてできるところからやってみる、実践してみてください。

次回も、もう少しドラッカーの他の書籍、論文から紹介します。

*1:このタイトルは、本文中に、ドラッカーが高等学校の最終学年の時の歴史の授業の時のエピソードからきています。第一次世界大戦についてのクラス討論の時に、ある生徒が「どの本も、あの戦争は、軍事的にも二流の戦争だといっています。どうしてですか」と尋ねた時の先生の答え「将軍が死なない戦争だったからだ。はるか後方にいて、兵隊を死なせるだけの戦争だったからだ」に拠っています。

*2:ピーター・ドラッカー財団(現:リーダー・トゥ・リーダー財団)が出版した“The Leader of the Future”の翻訳。編著者は、フランシス・ヘッセルバイン、マーシャル・ゴールドスミス。著者はピーター・センゲ、ケン・ブランチャードなどです。
営利組織のみならず、非営利組織におけるリーダーシップを取り上げています。  
 

Topics ドラッカー:私の人生を変えた7つの体験(1)

かつてドラッカーは、ダイエーの創始者、中内功氏と往復書簡によるコンサルティングをしていました。それらをまとめて出版されたのが、『挑戦の時』『創生の時』*1(“Drucker on Asia”)(1996年)です。
その中で、ドラッカーは青年時代を振り返って、「人生において成果を上げられるようにし、成長と変化を続けられるようにしてくれた教訓、過去の囚人となることなく成長することを可能にしてくれた7つの体験」を披露しています。
これらの体験について一つずつ紹介していきます。

第1回目は、「目標とビジョンをもって行動する――ヴェルディの教訓」です。

ドラッカーは、オーストリア・ウィーンで生まれ、小学校を1年飛び級で卒業。ギムナジウム(日本の中・高校に相当する)卒業後、進学するより社会に出て働きたいといってドイツ・ハンブルクの綿製品の商社の見習いとして働きだします。とは言ってもハンブルク大学の夜間学部には籍を置いていました。仕事は退屈で、学ぶことはほとんどなかったようです。
仕事以外の時間は、大学の図書館に入り浸る生活だったようです。そんな生活の中で、週に1回、オペラを聴きにいっていました。空席があれば学生は無料で聴くことが出来たそうです。そこで、19世紀イタリアの作曲家ヴェルディ*2のオペラ『ファルスタッフ』と出会います。この作品は1893年ヴェルディ80歳の時に作曲された最後のオペラです。

私は圧倒された。子供のころから音楽に親しんでいた。当時のウィーンは、音楽がさかんだった。特にオペラはたくさん聴いていた。だが、『ファルスタッフ』は初めてだった。あの夜の衝撃は、その後一生忘れたことがない」

私は調べた。18歳の私には、80歳という年齢は想像もできなかった。80歳の人など、ひとりも知らなかった。平均寿命が50歳そこそこだった70年前、80歳は珍しかった。すでにワーグナーと肩を並べる身でありながら、しかも80歳という年齢で、なぜ並外れてむずかしいオペラをもう1曲書くという大変な仕事に取り組んだのかという問いに答えた彼の言葉を知った。

「完全を求めて、いつも失敗してきた。だからもう一度挑戦する必要があった」私はこの言葉を忘れたことがない。心に消すことのできない刻印となった。
(中略)
一生の仕事が何になろうとも、ヴェルディのその言葉を道しるべにしようと決心した。いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていこうと決心した。


「あなたの最高傑作は何ですか?」という質問に、作家や映画監督が「次の作品です」と言っているのをよく聞きます。チャップリンも”Next one”と答えたそうです。
ドラッカーも「次に書くものだ」と言っていたようです。実際に、ドラッカーは96歳の誕生日を目前にして亡くなりますが、90歳を超えても旺盛な執筆活動を続けていました。当時はまだ18歳のドラッカーですが、まだまだ将来何が起こるか、何を一生の仕事にするのかさえわからなかった頃の話でした。

次回は、同じころに読んだ本から得られた教訓「神々が見ている―フェイディアスの教訓」についてお伝えします。

*1:この2冊は現在入手困難です。「私の人生を変えた7つの経験」の部分でしたら、初めて読むドラッカー【自己実現編】『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ成長するか』Part3の1章に再掲されています。

*2:ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)イタリアを代表するオペラ作曲家。サッカーの盛んな静岡県ですので、応援歌としてよく歌われる曲として『アイーダ』の「凱旋行進曲」は聞いたこと、歌ったことがある方もいるのではないでしょうか。また、イタリア代表チームが勝利した後にスタジアム中でサポーターが合唱する曲が『ナブッコ』の「行け我が思いよ、黄金の翼に乗って」です。
大庭純一

Jerry O. (大庭 純一)
1956年 北海道室蘭市生まれ、小樽商科大学卒業。静岡県掛川市在住。
ドラッカー学会会員。フリーランスで、P.F.ドラッカーの著作による読書会、勉強会を主催。
会社員として、国内大手製造業、外資系製造業、IT(ソフトウェア開発)業に勤務。
職種は、一貫して人事、総務、経理などの管理部門に携わる。社内全体を見通す視点、実働部隊を支える視点で、組織が成果をあげるための貢献を考えて行動をした。
・ISO9000s(品質)ISO14000s(環境)ISO27000s(情報セキュリティー)に関しては、構築、導入、運用、内部監査を担当。
・採用は新卒、キャリア、海外でのエンジニアのリクルートを担当。面接を重視する採用と入社後のフォローアップで、早期離職者を出さない職場環境を実現。
・グローバル化・ダイバーシティに関しては、海外エンジニアの現地からの直接採用、日本語教育をおこなう。日本人社員に対しては、英語教育を行う。
・社内教育では、語学教育のみならず社内コミュニケーションの活性化、ドラッカーを中心としたセルフマネジメント、組織マネジメント、事業マネジメントを指導。

※無断転載は禁止します


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