静岡県の人事・採用・教育・人財育成をサポート!人材紹介やホームページ制作・採用ツール制作、採用アウトソーシングもお任せください。

総合HRコンサルティング会社 SJC 株式会社就職情報センター 

  •  info@sjc-net.co.jp
  •  054-281-5566

52.リーダーシップについて考える(3)

F.ヘッセルバインのリーダーシップ

「リーダーシップについて考える」の第3回目は、NPO(非営利組織)においてリーダーシップを発揮して、卓越した成果を上げた女性リーダー、フランシス・ヘッセルバインを取り上げます。

NPOで活動されている方には、ぜひ彼女の著作を読んでいただきたいと思っています。そして、一般の(営利)企業に勤めている方々にも、NPOのマネジメント、そこでのリーダーシップから多くを学べることについて、まず簡単に説明します。

もちろん、NPOは善をなすことに身を捧げる。しかし、彼らは、よき意図が、組織、リーダーシップ、責任、仕事、成果に代わるものではないことを承知している。これらのことのために、マネジメントが必要であることを認識している。そして、組織のマネジメントは組織のミッションからスタートすべきことを知っている。

企業がNPOから学ぶべきことの第一が、ミッションを持つことである。ミッションを持つことによって、はじめて行動に焦点を合わせることができる。目標の達成に必要な戦略も明らかにすることができる。規律をもたらすことができる。
そうすることによってのみ、組織、特に大組織が陥る進行性の病、すなわち、限られた資源を生産的な活動に集中せず、面白いようなことや儲かりそうなことに分散させる過ちを防ぐことができる。
一流のNPOは、ミッションすなわち目的の定義に力を注ぐ。よき意図に関わる美辞麗句をさけボランティアと有給のスタッフの仕事が具体的にわかるように目標を定め、そこに焦点を合わせる。

『経営の真髄(上)』(マネジメントRevised Edition)P.F.ドラッカーp249

*1フランシス・ヘッセルバイン(Frances Hesselbein)は、リーダー・トゥ・リーダー・インスティテュート(旧ドラッカー財団)理事長兼CEO。
1976年にガールスカウト米国連盟初の現場出身CEOに就任。存続の危機にあった同連盟を劇的に復活させる「米国最高のマネジャー」としてビジネスウィーク誌の表紙を飾ったほか、フォーチュン誌、ニューヨーク・タイムズ紙などでも稀代のリーダーとして激賞された。1998年、米国市民に与えられる最高の栄誉、大統領自由勲章を受勲。現在も複数の非営利組織の理事や企業の取締役を務めている。
 

リーダーシップの旅

ではさっそく、ヘッセルバインの「リーダーシップの旅」(彼女がよく使う言葉です)について紹介して行きます。彼女は1916年生まれです。102歳になったいまでもニューヨーク市にあるオフィスに通って活動しています。
今年のGWにアメリカ東海岸を訪ねたドラッカー学会理事のU氏から近況を聞き、写真を見せていただきました。

ペンシルバニア州で生まれ、高校卒業後、地元のコミュニティー・カレッジに進学するも、お父さんが亡くなり1年間で退学、家族のために働きだします。20代前半に結婚し、20代後半(子供が8歳になった時)に地元のガールスカウトでボランティアを始めます。
ジョージタウンの第17団、30人の少女たちのボランティアの団長からスタートし地区協議会の役員、そして全国協議会のメンバーを経験し、全米ガールスカウト連盟のCEOになるのです。当時の全米ガールスカウト連盟は、創設以来の危機的状況にありました。目に見えることは、深刻な会員の減少でした。
その背景には、古きアメリカの象徴ではあっても、少女たちやその親たちのニーズの変化に取り残されていたといいます。
また、白人の女子が優勢であったのですが、他の人種の子供たちの受け入れが望まれていた時期でした。ガールスカウト歴25年の現場からのたたき上げのCEOへの期待が膨らんでいました。
 
ヘッセルバインが、偉大な変革リーダー然として、「変革プログラム」を掲げて上意下達で組織をコントロールしようとしていたならば、改革は失敗していたでしょう。
彼女がまずしたことは、ガールスカウトの「価値観」と「ミッション」を再度徹底し、それらを変革の枠組みとし、不変の拠り所を与えることをしたのです。
「変わりゆく世界にどこよりも早く対応できる組織ほど、何を変えてはいけないかを良くわきまえている」のです。「自分たちのあるべき姿(不変)」と「実際のことの選び方(変化)」の違いを知っていたのです。
 
「私たちがここにいる理由はただ一つ。少女たちがその可能性を最大限に伸ばせるように手助けすること」それは、貧乏であろうと裕福であろうと、都会住まいだろうと田舎住まいであろうと、黒人だろうと白人だろうとヒスパニックだろうと、アメリカの女子なら誰でも、自分がガールスカウトの一員となった姿を想像できなければいけない。
『ガールスカウト・ハンドブック』を開いたとき、「自分もここの一員になれるんだ」と思われるようにしなければならない。それこそが、「あなたは部外者じゃない。大きな存在の一部なんだよ」とのメッセージになるのです。


画像

具体的なヘッセルバインのリーダーシップの特徴を見ていきます。

自分たちは「いかなる存在か」「どうあるべきか」を常に考えることが重要だといいます。(Leadership is a matter of how to be – not how to do it.)
私たちが「今いる場所」から「本当にいるべき場所」に向かうには、自分なりの見方、自分なりの言葉で、リーダーシップを定義しなければならない。すべては、そこから始まる。
私は、かつて全米ガールスカウト連盟のCEOを務めた。その時から、長い時間をかけて、苦心して自分を見つめ直し、ようやく、自分なりにリーダーシップを定義することができた。
リーダーシップとは、つまり「どうやるべきか」ではなく「どうあるべきか」の問題だ。

『リーダーの使命とは何か』(HESSELBEIN ON LEDERSHIP)より

「どうあるべきか」のリーダーは、
1.人が最も重要な資産である
組織の最も大切な財産が、人間だと理解している。そして言葉や行動で、あるいは人と人との関係で、そのことを示そうとする。
彼らは、タテ型の階層を禁じ、管理職や従業員と共に新しい組織構造を築く。古い階層から、より柔軟で流動的な同心円状のマネジメント体制*1に移行し、人々のエネルギーと精神を解き放つ。

2.リーダーシップの担い手を分担させる、多様化させる。
分散した多様なリーダーシップを築く。リーダーを同心円のあちこちに配し、責任を分担することで組織のメンバーの潜在力を花開かせる。
また、従業員、取締役、スタッフの構成にできるだけ地域社会や周辺の環境を反映させる。顧客や従業員がこのダイバーシティーに富んだ先進的組織を見たとき、「私もこの人たちの仲間だ」と感じられるようにする。

3.ビジョンを提示する
個人と組織の両方を重んじ、双方の一体感がある、魅力的な組織ビジョンを提示する。そして、ミッションのもとに人々を結集させ、困難な時代にあっても負けない集団を作り上げる。
一貫したミッションに集結すれば、組織のあちこちに分散しているリーダーたちも、明確な方向性と、仕事の意義を見出すようになる。

4.顧客の声に耳を傾ける
顧客にとっての価値が何かを知ろうとすることの重要性を理解している。

5.個人の価値と尊厳
あらゆるやりとりのなかで、メンバーの価値と尊厳を態度で示す。

6.組織の成功には健全なコミュニティが必要
組織、メンバー、リーダーシップ、コミュニティをとりまく円*1
賢明なリーダーは、それらに関わるすべてのものを受け入れる。それを可能にするために、「うちの組織」だけでなく、組織の壁を越えた世界にも視野を広げていく。

ヘッセルバインが築きあげてきたリーダーシップとマネジメントのスタイルは、「包括的」で「円環的」そして「分散型」だといわれます。いまでも主流の階層型組織ではみられなかったものです。

大半の組織では、指揮統制、出世競争、トップとボトム、アップとダウンといった言葉が使われてきた。これらの組織が体現してきたのは、頂点に君臨するリーダーが従業員を見下ろし、従業員はリーダーを見上げるという、よく知られたピラミッドだった。
しかしこうした階層構造は人間や職務を、狭く硬直した箱に押し込めた。確かにしばらくの間はうまく機能していたが、未曽有の変化が世界を襲い、国際競争が激化し、国境があいまいになるにつれて現実世界に対応できなくなった。(中略)
私たちは、組織のあらゆるレベルでリーダーを育てていくうちに、サーキュラーマネジメントには人々のエネルギーを、そして人間の精神を解き放つ力があることを発見した。サーキュラーマネジメントによって古い障壁が崩され、階層が禁じられると、多様な視点が生まれるようになった。

『あなたらしく導きなさい』(MY LIFE IN LEADERSHIP)より

画像
*1 フラットな円形をなす、流動的な体制

一般の(営利)企業でも、特にフランチャイズを統括するような組織において、有効なリーダーシップのあり方を示しています。
詳しい説明は、紙幅の関係で省略しますが、「理想の組織に変わるための8つのポイント」も項目のみですが紹介します。

(1)周囲に目を配る
(2)ミッションを再確認する
(3)階層を禁ずる
(4)「天の声」に疑問をもつ
(5)言葉の力を駆使する
(6)リーダーシップを分散させる
(7)「後ろから押す」のではなく「真正面から導く」
(8)業績を評価する

ヘッセルバインがドラッカーに初めて会ったのは、1981年のことです。すでに彼女は、ガールスカウト連盟の全米の組織を統括する立場にありました。自身が試行錯誤を続けながら作り上げてきたリーダーシップを、ドラッカーのコンサルタントを通じてさらに発展させました。ガールスカウト連盟のCEOを辞した後も、優れたリーダーを育てるために、世界中の企業や大学、NPOと積極的に交流しています。

ドラッカーも、病院、教会、美術館、オーケストラなどのNPO団体のマネジメントの支援をしており、ヘッセルバインのリーダーシップからも多くを学びました。1990年刊の、NPO関係者のバイブルとされる『非営利組織の経営』がその集大成です。第Ⅰ部「ミッションとリーダーシップ」にはヘッセルバインとの対談が収録されています。

最後に、ヘッセルバインの言葉で締めくくります。
「船の行き先を決めるのは、風向きではない。帆の張り方である。」
(I cannot change the direction of the wind, but I can adjust my sails to always reach my destinations.)

画像

次回は、「サーバント・リーダーシップ」を取り上げます。
 

Topics ドラッカー:私の人生を変えた7つの体験(3)

第3番目は、「一つのことに集中する―記者時代の決心」です。
1番目、2番目は、ハンブルク時代の話でした。今回の3番目、次回の4番目はフランクフルトに転居し新聞記者として働きだしてからの話です。学業面では、フランクフルト大学法学部に編入、国際法で博士号をとっています。ゼミでは教授の代講をし、そのゼミにはドイツ人大学生ドリス・シュミットがいました。のちにロンドンで偶然に再会し、ドラッカーの生涯の伴侶となる女性です。

その後、私はフランクフルトに移った。初めは証券会社の見習いとして働いていたが、1929年10月、ニューヨーク株式市場が大暴落したため、会社がつぶれた。
その直後、ちょうど20歳の誕生日に、私はフランクフルト最大の新聞社に金融と外交を担当する記者として勤め始めた。(中略)
ヴェルディとフェイディアスの教訓だけは身につけていた。記者は、いろいろなことを書かなくてはならない。そこで私は、少なくとも、有能な記者として知らなければならないことは、すべて知ろうと決心した。


この新聞社は、フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガーという夕刊紙で、ドラッカーは入社2年目、22歳の時には三人いる副編集長の一人になっていました。
ニュースはロイターなどの通信社に頼っていましたが、特集記事や論説は自前で用意していたようです。自ら取材にも出かけ、地元の出来事もカバーしていました。
そして当時、台頭著しいナチスの党首アドルフ・ヒトラーや宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスの演説を聞き、直接インタビューもしていました。

ゲッペルスは一方的に演説するのを好み、インタビューの了解を取るのは難しかった。だが、自分に都合の良い質問項目を事前に配るなどしていたヒトラーとのインタビューは比較的簡単だった。―『知の巨人:ドラッカー自伝』*

20歳そこそこで新聞記者として活躍できたのは、ドラッカーがとても優秀であったこともあるでしょうが、第一次世界大戦後のヨーロッパには働き手となる男たちの多くが戦死していたということもあります。

新聞は夕刊紙だった。朝の6時に働き始め、最終版が印刷にまわされる午後の2時15分に終わった。そこで私は、午後の残りの時間と夜を使って、何が何でも勉強することにした。国際関係や国際法、諸々の制度や機関、歴史、金融についてだった。

やがて私は、一時に一つのことに集中して勉強するという自分なりの方法を身につけた。今でもその方法を守っている。
次々に新しいテーマを決める。統計学であったり、中世史であったり、日本画であったり、経済学であったりする。もちろんそれらのテーマを完全に自分のものにすることはできない。
しかし、理解することはできるようになる。すでに60年以上にわたって、一時に一つのテーマを勉強するという方法を続けてきた。この方法でいろいろな知識を仕入れただけではない。
新しい体系やアプローチ、あるいは手法を受け入れることができるようになった。勉強した新しいテーマのそれぞれに、それぞれ別の前提があり、別の方法論があった。


第3番目は以上です。
次回の第4番目は、この新聞社の編集長エーリッヒ・ドンブロウスキー氏に教わったこと「定期的に検証と反省を行う―編集長の教訓」です。

*『知の巨人:ドラッカー自伝』は、日本経済新聞の私の履歴書(2005年2月)の27本の連載に大幅な加筆をして出版されました。インタビューは、ジャーナリストの牧野洋氏です。2005年8月に出版された『ドラッカー:二十世紀を生きて』を文庫化したものです。
日経ビジネス人文庫(2009.07)定価(本体714円+税)牧野洋=訳・解説「ドラッカーの人生年表」「ドラッカーの著作一覧」「ドラッカーの米新聞・雑誌への主な寄稿記事・論文一覧」付き

大庭純一

Jerry O. (大庭 純一)
1956年 北海道室蘭市生まれ、小樽商科大学卒業。静岡県掛川市在住。
ドラッカー学会会員。フリーランスで、P.F.ドラッカーの著作による読書会、勉強会を主催。
会社員として、国内大手製造業、外資系製造業、IT(ソフトウェア開発)業に勤務。
職種は、一貫して人事、総務、経理などの管理部門に携わる。社内全体を見通す視点、実働部隊を支える視点で、組織が成果をあげるための貢献を考えて行動をした。
・ISO9000s(品質)ISO14000s(環境)ISO27000s(情報セキュリティー)に関しては、構築、導入、運用、内部監査を担当。
・採用は新卒、キャリア、海外でのエンジニアのリクルートを担当。面接を重視する採用と入社後のフォローアップで、早期離職者を出さない職場環境を実現。
・グローバル化・ダイバーシティに関しては、海外エンジニアの現地からの直接採用、日本語教育をおこなう。日本人社員に対しては、英語教育を行う。
・社内教育では、語学教育のみならず社内コミュニケーションの活性化、ドラッカーを中心としたセルフマネジメント、組織マネジメント、事業マネジメントを指導。

※無断転載は禁止します


PAGE TOP