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53.リーダーシップについて考える(4)

サーバント・リーダーシップ

今回のテーマは、「サーバント・リーダーシップ」です。
サーバント(servant)とは「召使」「奉仕者」「献身的な人」という意味です。それにリーダーシップという反対語がついていて、違和感があるかもしれません。
少々、話がそれますが、こういった言葉の使い方をオクシモロン(oxymoron)・撞着語法といいます。「公然の秘密」や「冷たい炎」「小さな巨人」など日常それと気づかずに使っている場合があります。ビジネス(教育)の現場でも、レゴ社の開発したチームビルディングの研修プログラムに「シリアス・プレイ(まじめな遊び:Serious Play)」がありますし、キャリア論ではクランボルツ教授の「プランド・ハップンスタンス(計画された偶然:Planned Happenstance)」などがあります。

本題に戻ります。

サーバント・リーダーシップは、「奉仕型リーダーシップ」「支援型リーダーシップ」のように言われることもあります。「君臨型のリーダーシップ」の対局にあるリーダーシップの形です。

1970年代にロバート・グリーンリーフ(Robert. K. Greenleaf) (米国1904-1990) によって提唱されました。彼は、企業人としてAT&T(アメリカ電話電信会社)で働き、退職後にマサチューセッツ工科大学やハーバードビジネススクールなどで研究活動と指導を行いました。1990年に亡くなるのですが、日本で知られるようになったのが、『サーバント・リーダーシップ』金井壽宏監訳、金井真弓訳(2008年英治出版、原書初版は1977年刊)が紹介されてからです。

ここで少し、時代背景を絡めて見てみます。
戦後の日本は欧米先進国に追いつけ・追い越せを目標に、経済(民)と政治(官)が一体になって突き進みました。リーダー像も「オレについてこい!」という「君臨型(お山の大将型)のリーダー」が企業活動をけん引し、単一の価値観で、ひたすら働くことで豊かさを実現してきました。現在50歳代以上の方であれば、こういった時代を経験していると思います。
そしてエズラ・ヴォーゲル著“Japan as Number One; Lessons for America”という本がベストセラーになり一世を風靡しました。

日本経済は黄金期(1980年代の安定成長期、ハイテク景気〜バブル景気)を迎えます。しかし、バブル経済崩壊後、「失われた20年、30年」といわれる停滞期がやってきました。先頭ランナーの背中を追い続けるうちは良かったのですが、いざ自分が先頭に立った時、目標を失い、単一の価値観からは新しい挑戦が生まれなくなっていました。
また、将来のリーダー層にあっては「マネージャーに昇進したくない」「会社人間は嫌だ」といった声が聞かれるようになりました。
皆さんの職場ではいかがでしょうか?
管理し命令するリーダーシップでは成果が上がらなくなり、部下たちがついてこない、すぐやめてしまうようになってしまいました。つまり流行らなくなったのです。

サーバント・リーダーシップは、「リーダーのためにメンバーがいる」という発想を逆転させ、「メンバーのためにリーダーが存在する」という立場をとります。
リーダーはメンバーの自主性を尊重し、メンバーの成功や成長を実現させるために奉仕するのです。こうすることによって信頼関係が生まれ、コミュニケーションが活発になり、組織が活性化することで目標達成が図れるとされています。

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ここまで読んできて、言葉ではその通りかもしれないが、ビジネスで成果を上げ続けることはそんなに簡単にはできない、と思われるでしょう。一方で、成功している会社の事例もビジネス誌に多く登場します。
その違いは何でしょうか?
 

サーバント・リーダーシップの前提を要約すると以下のようになります

1.【導くこと】[ビジョナリーの側面]:明確なミッション・ビジョン・バリューを示す
2.【尽くすこと】[サーバントの側面]:メンバーに奉仕する

ここで重要なのは、1.が十分でなければ、成果をあげることができないということです。
メンバー全員で、「私たちのミッション・ビジョン・バリューは何か」を共有しなければなりません。
リーダーが示すのでもいいでしょうし、ミーティングをして決めてもいいでしょう。全員の共通認識ができるまで伝える・話し合いをすることです。
そのうえで、それらを達成するための具体的目標を作っていきます。

■リーダーは、メンバー個々を尊重します。目標(達成すべき成果)が定まったら、やり方は個々の裁量に任せます。つまり個々の特性(強み)を主体的に発揮してもらうのです。

■メンバーは、リーダーの示した、ミーティングで合意したミッション・ビジョン・バリューに基づき、自分の目標(達成すべき成果)をリーダーとの合意の上で決め、目標達成の責任を負います*。
君臨型のリーダーシップの時のように「リーダーの指示通りやったのにうまくできなかった。それはリーダーのせい」といった言い訳はできません。

*責任を負うとは:目標を達成できなかった時に、降格・減俸・懲戒といったある種の罰が与えられるということではありません。目標達成のために最善を尽くすこと。その過程を結果に対して説明する義務を果たすこと(真摯に取り組み説明責任を果たすこと)を言います。
1.が出来てから2.に進みます。servantの訳語ですので「奉仕する」という言葉を使いますが、メンバーに媚びることでも、言うがままになって従うことでもありません。共有した目標達成の実現のため、メンバーが個々の力を最大限発揮できるように後方支援することです。
作業環境の整備、外部の組織との調整、自身の経験から得られた知見のアドバイス、外部リソースの補填などがあります。主体的に取り組んでいるメンバーを常に見守っている、そしていつでも相談に乗れるようオープンな姿勢でいることです。
 

5つのバリューと10の特徴

サーバント・リーダーに求められる行動は、「5つのバリュー」として示されています。
1.メンバー個々人を尊重する
2.導く
3.サーブする(サポートする
4.メンバーの潜在能力を引き出す
5.メンバーの成長を助ける

サーバント・リーダーシップ10の特徴
1.傾聴
2.気づき
3.概念化
4.先見力・予見力
5.共感
6.癒し
7.納得
8.執事役
9.コミュニティ創り
10.人々の成長に関わる

3,4,5は、ビジョナリーの側面 5,6,7,8,9,10はサーバントの側面、1,2は両方の側面にまたがる部分です。

さらに詳しい解説と実施している企業の実例は、「日本サーバント・リーダーシップ協会」のホームページ( http://www.servantleader.jp/index.html)または、「人事マネジメント」の記事(http://www.servantleader.jp/pdf/colmn_pdf01.pdf)を参考にしてください。

最後に『サーバント・リーダーシップ』からの引用で締めくくります。
力と権限の問題に関しては、とても重要で斬新な見方がされており、人々は暗中模索しながらも、威圧的でなく、より創造的に支え合う人間関係を学び始めている。新しい道徳的な考え方が現れているのだ。従うに値する権限とは、フォロワーたちが自分の意志で意識的に、リーダーに対して認めたものだけである。
サーバントとしての資質を明確に持っていることがリーダーの条件で、その資質の優劣に応じて、許される権限も変わってくる。この考え方に従うことを選んだ人たちは、既存の組織の権限をやすやすとは受け入れまい。というより、彼らが自らの意志で応ずるのは、サーバントであると証明され、信頼されていることを根拠にリーダーとして選ばれた人に対してだけだろう。
こうした考え方が今後広まっていけば、本当に成長が見込める組織はサーバント主導型のものだけとなるだろう。

『サーバント・リーダーシップ』p48

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次回は、ハーバード・ビジネス・スクールで教鞭をとる、企業変革、リーダーシップの権威、ジョン・P・コッター教授のリーダーシップ論から「ボス・マネジメント」を取り上げます。
ボスをマネジメントする?どういうことでしょうか?
 

Topics ドラッカー:私の人生を変えた7つの体験(4)

第4番目は、「定期的に検証と反省を行う―編集長の教訓」です。
第3番目と同じくドラッカーが、フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガーに勤務していた時の話です。当時のヨーロッパでも指折りのジャーナリストだったエーリッヒ・ドンブロウスキーから教わったということです。
今流に言えば、フィーバックの重要性の話です。
ドラッカーは、「評価を仕事の中心に組み込む」と表現しています。

当時50歳くらいだったその編集長は、大変な苦労をして若いスタッフを訓練し、指導した。毎週末、私たちの一人ひとりと差し向かいで、一週間の仕事ぶりについて話し合った。加えて半年ごとに、一度は新年に、一度は6月の夏休みに入る直前に、土曜の午後と日曜を使って、半年間の仕事ぶりについて話し合った。
編集長はいつも、優れた仕事から取り上げた。次に、一生懸命やった仕事を取り上げた。その次に、一生懸命やらなかった仕事を取り上げた。最後に、お粗末な仕事や失敗した仕事を痛烈に批判した。 この一年に二度の話し合いの中で、いつも私たちは、最後の二時間を使ってこれから半年間の仕事について話し合った。

それは、「集中すべきことは何か」「改善すべきことは何か」「勉強すべきことは何か」だった。私にとって、年に二度のこの話し合いは大きな楽しみになった。しかし新聞社を辞めた後は、そのようなことをしていたことさえ忘れた。
ところがその後、10年ほどたって、アメリカでこのことを思い出した。1940年代初めのころ、アメリカの大学の教授になり、同時にコンサルティングの仕事をしていた。何冊かの本も出していた。そのころ、フランクフルトの編集長が教えてくれたことを思い出した。それ以来私は、毎年夏になると、二週間ほど自由な時間をつくり、それまでの一年間を反省することにしている。

そして、コンサルティング、執筆、授業のそれぞれについて、次の一年間の優先順位を決める。もちろん、毎年8月につくる計画どおりに一年を過ごせたことは一度もない。だが、この計画によって、私はいつも失敗し、今後も失敗するであろうが、とにかくヴェルディの言った完全を求めて努力するという決心に沿って、生きざるを得なくなっている。


若いドラッカーが、30歳近くも歳が離れた上司に徹底的にしごかれた経験です。ドラッカーは小学校の頃は、作文が得意だったようです。それを強みとして、さらに磨きをかけて卓越性にして仕事にしていったのです。90歳を過ぎてからも執筆は続けていました。70歳代の時には、小説も2作品書いています。残念ながらあまり売れず、フィクション作家としては成功しませんでした。
ドラッカーが新聞社を辞めたのは、ドイツを離れる決意をしたからでした。1933年のことです。 この年は、ナチスが少数与党として連合政権を組閣した年です。
また、ドラッカーの著作(小冊子)『フリードリヒ・ユリウス・シュタール論』が出版されるも、ナチス政権によって禁書となり焚書処分になりました。ドラッカーの家系がユダヤ系ということもあり、身の危険を感じてイギリスにわたります。

次回、第5回目は、「新しい仕事が要求するものを考える―シニアパートナーの教訓」です。ドラッカーがイギリス・ロンドンに渡ってからの話です。
大庭純一

Jerry O. (大庭 純一)
1956年 北海道室蘭市生まれ、小樽商科大学卒業。静岡県掛川市在住。
ドラッカー学会会員。フリーランスで、P.F.ドラッカーの著作による読書会、勉強会を主催。
会社員として、国内大手製造業、外資系製造業、IT(ソフトウェア開発)業に勤務。
職種は、一貫して人事、総務、経理などの管理部門に携わる。社内全体を見通す視点、実働部隊を支える視点で、組織が成果をあげるための貢献を考えて行動をした。
・ISO9000s(品質)ISO14000s(環境)ISO27000s(情報セキュリティー)に関しては、構築、導入、運用、内部監査を担当。
・採用は新卒、キャリア、海外でのエンジニアのリクルートを担当。面接を重視する採用と入社後のフォローアップで、早期離職者を出さない職場環境を実現。
・グローバル化・ダイバーシティに関しては、海外エンジニアの現地からの直接採用、日本語教育をおこなう。日本人社員に対しては、英語教育を行う。
・社内教育では、語学教育のみならず社内コミュニケーションの活性化、ドラッカーを中心としたセルフマネジメント、組織マネジメント、事業マネジメントを指導。

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